ずぼん 開眼






 初めて目を開けたとき彼の視界に飛び込んできたものは、目もくらむようなまばゆい光でも、優しいまなざしを投げかけてくる親の笑顔でもなかった。彼は真っ暗闇の世界に生れ落ち、掌の眼球をぐりぐりと動かしている創造主の身体、そしてすぐ側でうずくまる兄弟を見た。
 その世界にはぼんやりと暗闇に浮き上がる彼ら以外は誰も居なかった。漆黒の無の世界だった。だが彼は寂しさも、恐ろしさも感じなかった。闇は彼の意識を優しく包み込んでいたし、そもそも彼は光を知らなかった。
 彼は隣でうつぶせに丸まっている兄弟の顔を覗き込んだ。伏せられた睫の一本一本がよく見える。青灰色の胸が呼吸と共に上下していて、彼がまだ覚醒していないことを示していた。半開きになった唇から吐息が漏れている。彼は開いたばかりのまぶたをしばたたかせ、無心に兄弟の寝顔を眺めていた。


 「……!」


 はるか上のほうから巨大な掌が降りてきて幼いふたりをすくいあげた。その手は吹けば飛ぶぐらい華奢なものの扱いになれていないようで、彼らはすごい勢いで上昇させられた。彼は乱暴に空気をぶち抜かされ、生まれたての薄い皮膚がぴりぴりと張り詰める。自分はこの風圧で掻き消えてしまうのかもしれないとおぼろげに彼は思った。彼は無意識に兄弟の手をきゅ、と掴んだ。
 上昇が止まった。


 「汝らに名を与える」


 創造主ののっぺりした顔には目が無かった。視線をどこに向けてよいかわからず、彼は頼りなげに周囲を見渡した。
 

 「容赦なく、音もなく獲物を包み込む暗闇の夜を。…ナイツ」


 その言葉は視線を向けられて言われたものではなかった。しかし頭蓋を超えて芯まで到達するものを持っていた。彼はそれが自分に向けられていることを確信した。その瞬間、彼はナイツになった。
 名づけられるということは自分が定義されるということだ。ナイツはふわふわと定まりの無かった意識が、創造主に名前を与えられることで収束し、自らの身体におさまるのを感じた。同時に自分を定義した創造主の圧倒的な力に気づき、ナイツは背筋があわ立つような感覚を覚えた。創造主には視線など必要なかった。この場所も、この闇も、創造主が生み出したものであり、創造主自身だった。
 次に声は兄弟に向けられた。


 「冷酷に、時には残酷に、理想を打ち破る現実を。…リアラ」


 リアラは目を覚まさなかった。ナイツは名づけによって芽生えた明確な自我の存在と、強大な他者の存在に打ち震えながら、傍らで眠るリアラの手を握り締めていた。









  戻る