ずぼん オレたちの空はひらいている






 ナイツは彼の自室の窓を覗いた。なかの明かりはランプのみのようで、薄暗かったが、部屋の中央に据えられた天蓋つきの寝台には、誰かが寝ている気配はなかった。ナイツはためいきをついた。まだ仕事をしている。ナイツは首をひねって光がさしている方向を見た。案の定、隣のガラス窓の前の書斎机で、見知った姿がせわしなく羊皮紙に羽ペンを走らせていた。
 リアラの机の前の窓にすべるように移動する。リアラのまつげの一本一本が、ペルソナの金色の装飾が、ランプのぼんやりとした光にぬれている。窓越しにナイツはリアラの顔の目の前で手を振ったが、彼は気づかなかった。彼は慣れた手つきで最後まで書き終えた羊皮紙をくるくるとまとめると、蜜蝋で封をし、背後に飛ばした。羊皮紙はまっすぐ電文用の通気口に吸い込まれる。ナイツは再度ためいきをついた。リアラは右手に山積みになった紙の山から一枚をひっぱりだし、羽ペンをインク壷につけた。


 「リーアーラ!」


 コンコンコン!ナイツは窓ガラスをたたいた。リアラがはじかれたように顔をあげた。彼が驚いてインク壷に羽ペンをつけたまま腕を動かしたので、壷は倒れて中身を新品の羊皮紙にぶちまけて台無しにした。窓越しにリアラと目があう。彼はナイツを軽く睨むと、すぐさまサードレベルを呼び、机の上を掃除するようを命じた。
 書斎机の前の窓はただのあかりとりで、開かないものだったので、リアラは部屋の端に移動した。ナイツもそれにあわせて飛ぶ。リアラはバルコニーにでるためのガラス扉を開けた。


 「ナイツ!私は仕事中だ!用件はさっさと切り上げろ」


 リアラはヒステリックに叫んだ。角が上に持ち上がっている。彼は仕事を邪魔されてご立腹のようだった。ストレスのたまりすぎだろうなとナイツは思った。


 「見てほしいものがあるから、街に行こう」
 「はあ?あの山積みの計画書にサインするのが終わってからでいいだろう、後にしてくれ」
 「もう一週間も寝ずに座りっぱなしじゃないか!」


 ワイズマン没後、リアラはめちゃめちゃに破壊されたナイトメア――ナイトピア駐屯地――を復旧するため各方面に指令を出し、新しい幹部を決め、計画を練り、目の回るほど忙しい毎日を送っていた。主がいなくなった今となってはその右腕だった彼が悪夢のトップになったのである。はじめのころは忙しいのは当たり前だとしても、幹部に命令を与えたら後は彼らに任せておけばいいはずで、それなのにまだリアラの仕事の量は異常であった。
 ナイツはそれがリアラにとって心の支えであった(認めたくないけれども) 創造主がいなくなったことへの埋め合わせのような気がしてならなかった。


 「別に眠らなくても支障はない…」


 確かにナイトメアンに眠りは必要ないのだが、気分転換や息抜きは必要だとナイツは思った。今のリアラはさらに猫背がひどくなり、心なしか足元が頼りないようにも思われた。
 

 「いいから来いってー」


 ナイツはリアラの手を引いてバルコニーから飛び立った。気分転換には広い場所で飛行することが一番、というのはナイツの信条である。リアラの自室がいくらバカみたいに広かろうと、天井が高かろうと、長時間いればまったく息が詰まるだろう。冷たい夜風がふたりの頬を打つ。
 リアラはナイツの手を振り払い、並んで飛行しながら言った。


 「さっさと終わるんだろうな。私は一刻も早くナイトメアを復旧し、マスターの遺志をつがねばならないのだ」
 「おい…」


 ナイツはうんざりした。それはナイトピアを潰すということだろうか?それも癪に障るが、それよりも主がいなくなってもなおその影に縛られているリアラにナイツは腹が煮えくりかえる思いだった。リアラは金色に輝くペルソナをつけている。その主への服従の証はピカピカに磨き上げられて、リアラが主の没後も彼を想い続けている様子が伺えた。
 ナイツは彼のペルソナの漆黒の羽飾りを毟りとってやりたい気分になったが、なんとか押さえつけた。今日は大事な日なのだ。ここでまたリアラを自室に逃げ込ませてはいけないのだ。


 「…そんなに早く仕事に戻りたいんだったら、競争でもするか?」
 「競争?」
 「ここからまっすぐ3時の方向に飛ぶんだ。先にガラス張りの双子の塔が見えたら勝ち!はじめ!」


 返事を待たずにナイツは飛び出した。振り向きざまに叫ぶ。


 「オレの速さにおいてけぼりくらうなよ、カメにも抜かされるリアラ様!!」
 「なんだと…?!このやせぎすの紫イモ!!振り切ってやる!!」


 リアラもナイツの後を追ってすぐに飛び出した。ぬきつぬかれつのチェイスの始まりだ。リアラはすぐにナイツを抜かして、雲の中に飛び込んだ。ピンク色のトゥインクルダストを追ってナイツも飛び込む。キリモミ飛行、ドリルダッシュ、ドリルダッシュ、ドリルダッシュ。追い抜きざまにはアクロバットで金色のリボンをみせつける。雲を突き破ったり、風を切り裂いたりしながら二人は飛び続けた。




 街が見えてきた。ふたりの差はなかなか開かない。リアラはわざと乱気流のかたまりに突っ込んで、ナイツを振り切ろうとした。ガラス張りのビルはもうすぐそこだった。リアラが乱気流から抜けたとき、ナイツの姿はなかった。満月が上気したリアラの顔を照らしている。


 「ははは!のろまなのは貴様のほうだったな、ナイツ!!」


 リアラは満足げに高笑いをし、激しい飛行でずれたはずのペルソナの位置を直そうとして、いつもの感触がそこにないことに気づいた。


 「ああ!」


 ふりかえると乱気流のかたまりの向こうに、月明かりを反射してきらめきながら落下していくものがあった。リアラはすぐに飛び出そうとしたが、それはできなかった。リアラの背後からナイツは今にも飛び出そうとする彼の腕をつかんで離さなかった。
 離せと叫ぶリアラに、ナイツは黙って首をふった。


 「だが…!」
 「ほらついた。ふりむいて」


 そこにはガラス張りの双子のビルがあった。ふたりの背後に輝く月を鏡のように映している。視点を変えると、ゆらゆらと月はいびつにゆがんで、まるで水面が立ち上がっているかのような美しさだった。
 ナイツはそのすばらしい光景を眺めながら言った。


 「誕生日おめでとう、リアラ」


 はっとしてリアラはナイツを見た。統率者がいなくなり壊滅的になった悪夢の後始末に追われていて、誕生日のことなどとうに忘れていたのだ。そして今日が自分の誕生日だということは、それはいまここに寄り添うナイツもまた誕生日を迎えたということだ。
 ナイツは穏やかに微笑んでいる。彼の頬も上気していて、柔らかな月光に照らされていた。
 ナイツはリアラがこちらを見ているのに気づくと、なあに、というように小首をかしげた。月の光に照らされたナイツはとてもきれいで、わかっているくせに、とリアラは胸が少しだけきゅ、と締めつけられるように感じた。


 「ナイツ、誕生日、おめでとう」


 誕生日おめでとう、だって!もう何百年もいったことのない言葉だとリアラは思った。リアラの声は緊張で擦れていた。急に意識しだした自分が恥ずかしく彼はぱっと目をそらした。
 ナイツはリアラに優しく笑いかけた。


 「そうなんだ。今日はオレたちがはじまった日なんだ」


 何百回目かの誕生日かも忘れた。数え切れないぐらいの回数巡った時間の中で、二人でまともに祝えたのは、いったい何回だろう?ナイツはつづけた。静かに、リアラに言い聞かせるように。自分に言い聞かせるように。


 「オレはもう昨夜のオレじゃない。お前はもう昨夜のお前じゃない」


 ナイツはどこからかリアラのペルソナをとりだした。リアラの目の前で一回それを振ると、ナイツはペルソナの中心部の宝石に、そっと口付けた。宝石からまばゆい光があふれ出す。金色とも銀色ともつかない光がペルソナをおおい、輪郭をぼやかし、空中に飛び散った。かつてペルソナだった光の粒は、星屑となってリアラのまわりを巡り、そして風に流されていった。
 リアラはしばらくその軌跡を目で追っていた。まぶたの裏にやきついていた主の3対の眼光も、リアラのなかで星屑になり溶けていった。ナイツは彼をふわりとだきしめた。リアラは顔を覆った。


 「ああ…」
 「過去の亡霊に囚われてちゃダメなんだ」
 「ああ、もういい、もういいんだな、ナイツ」
 「リアラ」
 「もっと強く抱きしめてくれ」


 しばらくふたりはかたく抱きあっていた。月の光は涙が出てくるぐらい優しかった。




 眼下の街ではなにやら祭りがはじまったらしく、にぎやかな人々の笑い声や音楽がまざりあい喧騒となって響いてきた。3/4拍子のゆっくりとした曲調。ワルツだ。
 ナイツは抱擁を解いて、くるりとターンし、ゆっくりと優雅な動きでリアラに向き直った。手のひらを差し出す。小首をかしげて、笑いかける。


 「踊ろうリアラ、苦手じゃないだろ?」
 「苦手なものか」


 リアラはナイツの純白の手袋に自分の手のひらをのせた。ナイツは彼の手をぎゅっと握る。
 まずは簡単なステップから。リズムにのってきたらもっと伸びやかに、もっと大胆に。からだが軽いとリアラは呟いた。これが自由だとナイツは言った。


 「新しい始まりの素晴らしい夜に幸あれ!」


 二人は手と手を重ね、指を絡めて、夜景に彩られた星の絨毯のうえでいつまでも踊っていた。









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